青春の一冊「嵐が丘」とBronte Country ≪MAIN≫ お気に召すまま draft

2004年12月19日

エミリー・ブロンテ、二つの符号

今日お昼の時間に「嵐が丘」にまつわる話を書いた。夕食後、ブロンテ姉妹の生い立ちが気になったのでBronte Sisters - Haworthを調べた。そして、二つの符号に気づいた。

ひとつは、「嵐が丘」が出版されたのは、私が生まれた年からちょうど100年前であるという事実(あっ、私の歳がばれた(笑)…「性ホルモンで10才若返る」を心がけているから、七掛け人生で39歳だと自称しておく)。

もうひとつ、なんと今日がエミリー・ブロンテの命日である。まったくの偶然である。しかし、エミリーが死後の世界からヒースクリフに語りかけたのと同じように、あたかも今日この日に私に筆をとらせたのではないかと不思議な因縁を感じる。

Brontes Chronology  Biography - Emily Bronte

emily2.jpgエミリー・ブロンテ(Emily Jane Bronte) 1818-1848

 ハワースの牧師館で読書好きの娘時代を送り、架空の国アングリアやゴンダルを舞台にした物語に想像の翼をひろげ、創作に向かう。18歳のときに教師となるが半年でやめる。1842年、姉のシャーロットとともにブリュッセルに半年間遊学。以後はハワースで暮らし、詩や散文の執筆に励む。1846年に妹のアンを含めた三姉妹で詩集『カラー、エリス、アクトン・ベルの詩集』を自費出版した。翌年『嵐ヶ丘』が出版されたが、評判はかんばしくなかった。そうした中で喘息を病み、明くる年の12月19日に30歳で死去。(「英米女性作家」 ミネルバ書房)

No Coward Soul is Mine
「私の魂は臆病な魂ではない、
 この世のあらしの中で震える魂ではない」

サマセット・モームの言葉(「世界の十大小説」より)
「『嵐が丘』は例外的な作品なのである。同時代の他の小説とは、いささかの関係も持っていない。出来映えはひじょうに悪い。だが、同時にひじょうにすぐれてもいる。醜く忌わしい。だが、同時に美しくもある。恐ろしい、読む人を苦しみ悩ませる、力強い、情熱にみちた書物である。」

Wuthering Heightsの一節から
 'My love for Linton is like the foliage in the woods. Time will change it, I'm well aware, as winter changes the tree - my love for Heathcliff resembles the eternal rocks beneath - a source of little visible delight, but necessary. Nelly, I am Heathcliff - he's always, always in my mind - not as a pleasure, any more than I am always a pleasure to myself - but, as my own being - so, don't talk of our separation again - it is impracticable; and -'
 She paused, and hid her face in the folds of my gown ;

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投稿者 elmblog : 2004年12月19日 22:06

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