2005年08月11日
トリニティ核実験から2000回

[写真はNHKスペシャル番組からキャプチャーして編集したものです]
人類が始めてみた核の姿…天を突いて立ち上る雲は、原爆製造の中心を担ったオッペンハイマー博士を恐怖させた。記者会見で目に涙を浮かべてつぎのように語った。
笑う者も泣く者もほとんどなく 皆 押し黙っていました。 今までの世界は 別のものになりました。 『バガヴァッド・ギーター』の一節が浮かびました。『汝のすべきことだけせよ』
と神は王子に語り……
無数の手をもつ怪物に変身し警告するのです
『今、私は死神となる。破滅を導く者になるぞ』
ヒンドュー教の神・クリシュナの言葉
「千の太陽が一時に 天空にきらめき出ることあれば…
そは かの荘厳な者の光輝に似ん
私は世界を滅亡させる「時間」となり
今破滅に向かって活動を開始した」
2005年08月09日
赤い背中~原爆を背負い続けた60年~
今夜のNHK特集「赤い背中」~原爆を背負い続けた60年~を見た。戦後はまだ終わっていないのだと実感し、自分の無知を恥じる思いをした。そして、多くの被爆者がなくなっていく時代、戦争を知らない平和な時代に生きたすべての日本人が原爆の恐怖や悲惨さを記憶にとどめ後世に伝えていく責務があるのだと思い知らされた。
[下記写真は米軍戦略爆撃調査団が長崎で撮影したフィルムから作成。戦後25年経って公開された]
わたしは、日本と日本人の被爆体験に、これまで無関心であった。「日本人は歴史を知らない」とアメリカの友人たちに言われたことを何度か引用しているが、これからも自戒の言葉であり続ける。遠い昔、中学生のときに修学旅行で広島に立ち寄り、原爆ドームと記念公園を見学した記憶がある。しかし、それは原爆の怖ろしさを学ぶためでも被爆者たちが体験した地獄の実態を知るためでもなかった。おそらく引率の先生たちも被爆の実態をよく知らなかったのではないかと思う。広島・長崎の被爆者とその家族・友人・知人たちを除けば、ほとんどの日本人が被爆の恐ろしさと苦しみや悲しみを実感できなかっただろうし、またそのための知識も十分に与えられていなかったのだと思う。
アメリカ政府・軍は、原爆が人体に与える影響をつぶさに調査したが、その記録を25年間も極秘扱いをして、自国民にも世界にも公開しなかった。その中の一枚が左の写真で、TV画面をキャプチャーしたものである。真っ赤に焼け爛れた背中。生と死のはざまで激痛に耐えていた谷口少年の写真である。その谷口さんを中心に展開したドキュメンタリである。谷口さんは、他の多くの被爆者と同様に長い間口を閉ざしてきた。自分が体験した地獄を思い出す苦痛に耐えられないからだと思う。戦争の悲惨さを見た人々が抱く共通の思いであろう。
その谷口さんは、40歳を過ぎた頃からみずからの被爆体験を積極的に語るようになったという。そのきっかけは、昭和45年、一枚の写真を手に入れたことである。「赤い背中」の写真である。当時、この写真が発表されると大きな反響を呼び、同情をよせる多くの手紙が届いた。しかし、それを読んで谷口さんは、写真だけでは、原爆の真の悲劇はけっして伝わらないことを実感したと語る。谷口さんの語る口調とその内容は何者も反論できない真実の重みがある。
「わたしは見世物じゃない。わたしの体を見てしまったら、誰がこうしたのか、誰のためにこうなったのかと、みんなに知ってもらいたい。そうしないと、私の体を見た価値がない。ただかわいそうだったとか、苦しかった、痛かったでしょうとか、そういうことじゃない。」「ベッドの上が毎日食堂になり、また便所になりました・・・。人間の腐るにおい、焼けた肉のにおい、生きながらにして蛆が湧いて腐った肉に食い入る痛み、わたしは幾度となく「殺してくれ!」と叫び続けました。わたしが「命をとり止める」と思っている人は一人もいませんでした。」
「原爆を作った人間、それを作らせた人間、それを使わせた人間、また使って喜んだ人間・・・。これは人間じゃない。絶対許せない。」
「長生きしてくださいといわれるが、長生きするほど苦しみは長くなる。」
2005年08月07日
死んだ人たちの嘆きのためにだけ生きよ。
原 民喜は、原爆にあたることの凄まじさを文章に刻み続けた。
「自分のために生きるな、死んだ人たちの嘆きのためにだけ生きよ。
僕を生かしておいてくれるのはお前たちの嘆きだ。
僕を歩かせてゆくのも死んだ人たちの嘆きだ。」 (「鎮魂歌」より)
「…世界は割れていた。僕は探していた。何かをいつも探していたのだ。廃墟(はいきょ)の上にはぞろぞろと人間が毎日歩き廻った。人間はぞろぞろと歩き廻って何かを探していたのだろうか。新しく截(き)りとられた宇宙の傷口のように、廃墟はギラギラ光っていた。巨(おお)きな虚無の痙攣(けいれん)は停止したまま空間に残っていた。崩壊した物質の堆積(たいせき)の下や、割れたコンクリートの窪(くぼ)みには死の異臭が罩(こも)っていた。真昼は底ぬけに明るくて悲しかった。白い大きな雲がキラキラと光って漾(ただよ)った。朝は静けさゆえに恐しくて悲しかった。その廃墟を遠くからとりまく山脈や島山がぼんやりと目ざめていた。夕方は迫ってくるもののために佗(わび)しく底冷えていた。夜は茫々として苦悩する夢魔の姿だった。人肉を啖(くら)いはじめた犬や、新しい狂人や、疵だらけの人間たちが夢魔に似て彷徨(ほうこう)していた。すべてが新しい夢魔に似た現象なのだろうか。廃墟の上には毎日人間がぞろぞろと歩き廻った。人間が歩き廻ることによって、そこは少しずつ人間の足あとと祈りが印されて行くのだろうか。」 (「鎮魂歌」より)
「遠き日の石に刻み 砂は影おち 崩れ墜つ 天地のまなか 一輪の花の幻」
「ふと僕はねむれない寝床で、地球を想像する。夜の冷たさはぞくぞくと僕の寝床に侵入してくる。僕の身躰、僕の存在、僕の核心、どうして僕はこんなに冷えきつているのか。僕は僕を生存させてゐる地球に呼びかけてみる。すると地球の姿がぼんやりと僕のなかに浮かぶ。哀れな地球、冷えきつた大地よ。だが、それは僕のまだ知らない何億万年後の地球らしい。
僕の眼の前には再び仄暗い一塊りの別の地球が浮んでくる。その円球の内側の中核には真赤な火の塊りがとろとろと渦巻いてゐる。あの鎔鉱炉のなかには何が存在するのだらうか。まだ発見されない物質、まだ発想されたことのない神秘、そんなものが混つてゐるのかもしれない。そして、それらが一斉に地表に噴きだすとき、この世は一たいどうなるのだらうか。人々はみな地下の宝庫を夢みてゐるのだらう、破滅か、救済か、何とも知れない未来にむかつて……。
だが、人々の一人一人の心の底に静かな泉が鳴りひびいて、人間の存在の一つ一つが何ものによつても粉砕されない時が、そんな調和がいつかは地上に訪れてくるのを、僕は随分昔から夢みてゐたやうな気がする。」 (「心願の国」より)
2005年08月02日
モルドバの壁画誕生の謎
ルーマニア北部のモルドバ地方にある教会の数々。現在7つが世界遺産に登録されている。その中でも最も美しい教会が北部のモルドバピツァ村にある。高さ8メートル、幅25メートルの壁一杯に絵が描かれている。聖書に登場する聖人や予言者の絵で埋め尽くされている。教会の中も壁一杯に絵が描かれている。450年前に描かれた壁画である。いまも鮮やかな色彩を維持している秘密は何か?教会の中も外もなぜこれほどまでに絵が描かれたのだろうか?なぜモルドバ地方にはこうした教会がいくつもあるのだろうか?
それらの多くは15-16世紀に描かれた。当時はまだルーマニアという国はなく、周囲を大国に囲まれた小さなモルドバ公国があった。壁画が描かれた15世紀はイスラム世界のオスマントルコとの戦いの中にあった。過酷な時代を生き抜くために、キリストの受難を自らの運命に重ね合わせて、心の支えとして描かれた。
フレスコFrescoとは、イタリア語で「新鮮」と言う意味で、漆喰が乾かないうちに絵を描く手法。世界からモルドビアンブルーと賞賛された青色は450年以上も色落ちせずに残っている。
アゼライトは銅を含んでいるため化学変化を起こしやすい。なのになぜ色あせないのか?その秘密は漆喰とアゼライトの間の木炭にある。これにより光を遮断し、漆喰には接着しやすいように麻のくずとチーズを混ぜる技法が、長い風雪に耐えて美しい青を保持しているのである。
モルドバの壁画誕生の謎
ルーマニア北部のモルドバ地方にある教会の数々。現在7つが世界遺産に登録されている。その中でも最も美しい教会が北部のモルドバピツァ村にある。高さ8メートル、幅25メートルの壁一杯に絵が描かれている。聖書に登場する聖人や予言者の絵で埋め尽くされている。教会の中も壁一杯に絵が描かれている。450年前に描かれた壁画である。いまも鮮やかな色彩を維持している秘密は何か?教会の中も外もなぜこれほどまでに絵が描かれたのだろうか?なぜモルドバ地方にはこうした教会がいくつもあるのだろうか?
それらの多くは15-16世紀に描かれた。当時はまだルーマニアという国はなく、周囲を大国に囲まれた小さなモルドバ公国があった。壁画が描かれた15世紀はイスラム世界のオスマントルコとの戦いの中にあった。過酷な時代を生き抜くために、キリストの受難を自らの運命に重ね合わせて、心の支えとして描かれた。
フレスコFrescoとは、イタリア語で「新鮮」と言う意味で、漆喰が乾かないうちに絵を描く手法。世界からモルドビアンブルーと賞賛された青色は450年以上も色落ちせずに残っている。
アゼライトは銅を含んでいるため化学変化を起こしやすい。なのになぜ色あせないのか?その秘密は漆喰とアゼライトの間の木炭にある。これにより光を遮断し、漆喰には接着しやすいように麻のくずとチーズを混ぜる技法が、長い風雪に耐えて美しい青を保持しているのである。
2005年02月27日
東巴文字
象形文字には甲骨、ヒエログリフ、トンパ(東巴)の三つがあるという。甲骨文字とヒエログリフについてはその歴史的背景を含めてある程度知っていたが、トンパ文字についてはよく知らなかった。三つの象形文字の中で現在も使われているのがトンパ文字で、いま日本で静かなブームになっているということを、電網写真館 asia photo netというサイトで知った。

上の写真はトンパ研究所に保管されている古いトンパ経典(象形文字経書)

このホームページに「とんぱ酉」のアニメーションがある。鳴き声は、日本の鶏とおなじで、わたしにはコケコッコーと聞こえる。トンパ(東巴は、中国雲南省の少数民族(55あり、そのうち23が雲南省に住んでいるとのこと)のひとつであるナーシー(納西)族(naxi zu naxi ethnic minority group)が使っている象形文字だそうである。[写真はChina Internet Information Centerより拝借した]
雲南納西族東巴文字に、「トンパ文字」のすべてがある。トンパ文字と画像がたくさん使われており、トンパ文字辞典やトンパおみくじもあるユニークなページである。関心のある人は訪問されると良い。
[参考] KIRINの「日本茶 玄米」のデザインにあるのがトンパ文字だそうです。
甲骨文字とヒエログリフについてはつぎのサイトが参考になる。
★漢字のルーツ─甲骨文字
★東京大学総合研究博物館ー甲骨
★甲骨文の発見
★Egyptian Hieroglyph Room
★ヒエログリフのABC
★Rosetta Stone
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2005年02月14日
The History of Valentine's Day

きょうはバレンタイン・デーである。日本では、クリスマスと同じようにたくましい商魂が全国的な行事にしたてあげた。それにしても、「女性が好きな男性にチョコレートを贈る日」とした人の戦略性には敬服する。しかし、いつのまにか「好きな」が不必要になって、「義理チョコ」がまかり通るようになったのも商魂ゆえか、それとも職場であからさまに目当ての男性だけに贈るのははばかれると思う日本女性の奥ゆかしさからか?…などと考えるのは古い時代の人間だけだろう。いまや、この日に関係なく人目もはばからずチョコレートでベトベトした気持ち悪さが東京周辺で横行しているのも現実である。
そもそも欧米では「聖バレンタイン」とは何者で、「バレンタイン・デー」にはどういう謂れがあるのか?The History Channelでは以下のように解説している。
昔から、2月はロマンスの月であり、St. Valentine's Dayはキリスト教徒や古代ローマ人の伝統の名残であることを知っている。今日カソリック教会ではValentineまたはValentinusという名前の聖人がすくなくとも三人いて、いずれも殉教者である。
ある伝説では、紀元三世紀のローマ時代の牧師だったという。当時の皇帝クラウディウス二世が、独身男性のほうが妻帯者よりも優秀な兵士になると考え、若者の結婚を禁止しようとした。バレンタインは皇帝の意思に逆らって、若い恋人たちの結婚を秘密裏に祝福することを止めなかった。このバレンタインの行為が皇帝の怒りにふれ彼は処刑された。
伝説によれば、最初の「バレンタイン」のカードは彼自身が贈ったものだという。彼が牢獄に入れられているときに看守の娘と恋に落ち、この恋人に送った手紙に"From your Valentine"と署名したことが現在まで伝えられたといわれる。
バレンタイン伝説の背後にある事実は暗い(murky)ものであるが、彼の行為は人々の同情を誘い、英雄的でロマンティックであった。中世の時代を通じてイギリスやフランスでは最も人気のある聖人の一人であったことは当然であろう。
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2005年02月11日
キトラ古墳
今年の正月にNHK特集で「キトラ古墳」を見た。歴史は好きなほうで、歴史にかかわる本やTV番組に関心を示す私であるが、キトラ古墳についてはほとんど知識がなかった。吉野ヶ里遺跡や三内丸山遺跡についても、その歴史的背景を含めて知ったのはこの三年である。遺跡を訪ねて古代の人々の生活に思いを馳せたのは、三内丸山遺跡だけである。
今日PCのディスクを整理しているときに、「キトラ古墳」の録画ビデオがあるのに気が付いた。キトラ古墳の説明ではなく、日本の貴重な文化財を守る人々の真剣な取り組みを描いたものだった。「石室開封~キトラ古墳・壁画修復への挑戦~」と題するドキュメンタリーである。
この古墳の石室は、幅約1m 長さ約2.6m 高さ約1.3mの大きさ。1983年のファイバースコープによる内部探査で、北壁に描かれた玄武が確認され、注目を浴びたとのこと。その時はアメリカに駐在しており、日本のニュースに触れることはなかった。大阪市立科学館のキトラ古墳のはなしによると、1998年の調査で、新たに白虎像、青龍像、天文図が発見され、2001年までの数次にわたる探査の結果、石槨内の壁画の全貌が明らかになったという。


昨年の保存状態の確認調査で、入り口付近でカビが見つかり壁画の修復に乗り出した。幅1m、高さ1.3メートル、入り口は40cmしかない狭い石室で、しかも湿度100%のなかでの作業はたいへんな忍耐が要求される。これを担当したのが、東京文化財研究所の山本記子研究員。玄武、青龍の壁画部分の漆喰は石の壁からはがれ、放置しておくと崩れ落ちる危険がある。
修復の準備のために始めて石室の中に入って壁画を直接見た山本研究員はいう。
「こんなすごい造形物があるのだと感激した。人の目に見えないような細かなところまで描かれている。それは、自分の技術を人に見せるためではなく、もっと大きなものに動かされた結果ではないか。だからこそ、純粋できれいなものを感じる。」
過去20年にわたり文化財の保存修復に取り組んできた専門家の言う言葉には真実がある。
文化財保護は、現場での保存が基本とのこと。しかし、1972年に発掘されて有名になった高松塚古墳の壁画に修復不可能な黒カビが発生した例があり、同じ失敗を避けるために剥がれ落ちそうな部分を取り出すことが決定された。その作業は、素人には思いもよらない困難な作業であることを、TV番組は描いていた。30センチ四方の一部をとりだすだけで不測の事態への対処も含め、5時間もかかった。湿度100%の中でひざまずいたままでの作業、技術と忍耐力、そして冷静な判断力が1300年前の壁画を救い出したのである。はずされた白虎と青龍を見る専門家たちの表情は大きな感動に包まれていた。「すばらしい…」という以外の言葉が見つからない。
<Google検索結果のリンク集>
キトラ古墳のはなし...キトラ古墳
キトラ古墳は、奈良県明日香村大字阿部山にある直径約14メートルの古墳
で、7世紀末から8世紀初め頃に作られたと推測されて ... キトラ古墳の特徴 1998年3月の調査において、石室内の天井に天文図が描かれている事が発見されました。 ...www.sci-museum.kita.osaka.jp/~kazu/kitora/kitora.html - 10k -
キャッシュ - 関連ページ
キトラ発掘情報 1 キトラ発掘情報 2 キトラ発掘情報 3キトラ古墳...キトラ発掘情報 1. キトラ発掘情報 2. キトラ発掘情報 3. キトラ古墳壁画写真発売.キトラ古墳壁画 (絵). 高松塚・キトラ古墳玄武比較図. 高松塚古墳・星宿復元図.
淳祐天文図. 天象列次分野之図. キトラ古墳情報(7/15)
www.sikasenbey.or.jp/asuka/e.htm - 3k - キャッシュ - 関連ページ
明日香村ホームページ
...キトラ古墳は、奈良県高市郡明日香村大字阿部山小字ウエヤマ136-1に所在する
二段築成の円墳です。 ...キトラ古墳では、上段(中央の人の前側)と、テラス状の下段(右側の人が立っている所)からなる二段築成の円墳と考えられます。
...www.asukamura.jp/himitsu/kitora.htm - 12k -
キャッシュ
- 関連ページ
飛鳥資料館キトラ古墳
... 4月29日から、地下の特設展示室にキトラ古墳コーナーを設けています。 今年文化庁
が撮影した獣面人身像の赤外線デジタル写真を中心に玄武と天文図が確認 ...キトラ古墳の新しい写真が発表されれば、文化庁の許可を得て随時公開していく予定です。
...www.asukanet.gr.jp/kitora/ - 11k - キャッシュ
- 関連ページ
キトラ古墳(明日香村)
... 石刻天文図を基にしたとされる「天象列次分野之図」は、星座や赤道が精密に描かれて
おり、キトラ古墳の星宿にそっくりだ。
... 最古級の天文図などが確認された明日香村
阿部山の円墳「キトラ古墳」(七世紀末から八世紀初めごろ)の石室に描かれて...www2.begin.or.jp/sakura/asuka2.htm - 10k - キャッシュ
- 関連ページ
キトラ古墳の星宿図...キトラ古墳は、明日香村の阿部山というところにある、7世紀後半~8世紀始めごろできたと考えられる直径10mくらいの古墳です。このキトラ古墳の天井画の星宿図 について、
天文民俗学的に?解説してみたいと思います。
astro.ysc.go.jp/izumo/kitora.html - 51k - キャッシュ
- 関連ページ
キトラ古墳1・緯度
キトラ古墳の星宿図の計算結果. ...キトラ古墳は7世紀末から8世紀初めに作られたと
考えられておりまして、 奈良県明日香村大字阿部山小字ウエヤマ136-1にある上段が直径
約9.4m・下段が直径約14m・ 高さ3.3mの円墳であり、埋葬者は不明です。 www.asahi-net.or.jp/~nr8c-ab/jpnkitora.htm - 12k - キャッシュ - 関連ページ
キトラ古墳詳報...キトラ古墳】 明日香村にある終末期古墳で直径約14メートルの小型円墳。約1キロ
北の高松塚古墳で極彩色壁画が発見されたのを機に、1983年から調査が始まり、朱雀など
四神図と獣頭人身の十二支図、天文図などを確認した。今年1月に本格的な調査が再開 www.nara-shimbun.com/special/kitora/ - 17k -
キャッシュ - 関連ページ
asahi.com : ニュース特集 : キトラ古墳
文化庁は、壁画のはぎ取りが進む奈良県明日香村のキトラ古墳の石室を報道各社に公開
した。これまでは代表取材に限られていた。 ...キトラ古墳展開図 キトラ古墳展開図,
壁画の応急処置の方法 壁画の応急処置の方法. (イメージ図)
...
www.asahi.com/special/kitora/ - 29k -
2005年2月6日 - キャッシュ - 関連ページ
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2005年02月01日
The Origin of Species

"I have called this principle, by which each slight variation, if useful, is preserved, by the term Natural Selection."
種の起源 第14章
「生命はあまたの力とともに、最初わずかなもの、あるいは、ただひとつのものに吹き込まれ、この惑星が、確固たる重力法則に従い 回転するあいだに、かくも単純なはじまりから、きわめて美しく、きわめて驚くべき 無限の形態が進化し、今も進化しつつある。
この見方の何と壮大なことか....。
もしも生物が進化し続けるとするなら、しょせん人間は長い歴史の中の束の間の存在でしかないだろう。
しかし、人間とは果たしてそれだけの存在だろうか....
人はただ自然にまかせて滅びることはない。何故なら人には、弱い者を、不自由な者を、劣った者を、不利益から守るという叡知が、さずけられているのだから....。」
—Charles Darwin, "The Origin of Species"
今日は私の誕生日である。
不確実性の時代…、変化の激しい時代…、と言い始めてから何十年になるだろうか?10年以上前になるが、中長期事業計画を担当したときに作成した「事業計画書」のキーワードは「スピード」であった。90年代半ばのアメリカでインターネットが進展するとともに誰もが引用したのが、Dog Yearであったのを懐かしく思い出す。これらの合言葉はいまもビジネスの世界で使われている。「スピード」の意味の解釈は人によって違うが…。
1980年代の大半をアメリカで過ごした私は、その時に経験した激しい変化と不確実性を忘れることができない。その時に学んだのがダーウィンのつぎの言葉であった。
「生き残るのは、最も強い種ではなく、最も知性が高い種でもない。
それは、変化に最も迅速に対応できる種だ」 - Charles Darwin -
爾来、この言葉は私の座右の銘の一つに加えられた。日本で事業企画を担当したときの「スピード」と同様に「変化への対応」を意識し、七転び八起きの象徴としてのダルマと一緒にプレゼンテーションの最後にいつも引用している。
Dog Yearは七年というのが通説である。しかし、時間に急かされて生きる人生よりも、自然とともにゆったりと流れる時間の中で生きる喜びと安らぎを感じたいと思うようになった自分を見つめる。私にとっての「スピード」は「変化への対応」のスピードであったが、時には立ち止まって行く年来る年を考え、人間の生き様を考えるゆとりを持つことも必要であろう。そんな想いもあって、この記念すべき日のブログに、ダーウィンの別の言葉を引用した。
「人はただ自然にまかせて滅びることはない。何故なら人には、弱い者を、不自由な者を、劣った者を、不利益から守るという叡知が、さずけられているのだから....。」
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2005年01月17日
阪神大震災10年後
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2004年12月26日
竹取物語のふるさと
「口頭伝承のかぐや姫
竹取物語と「壬申の乱」
竹取物語(国民文庫)
竹取物語への招待
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2004年09月14日
日本人は歴史を知らない?
「そんなことがあったんだ。日本人ってすごいなぁ……」と感心するようなことをこの年になって知ったというのが多い。単にわたしの勉強不足に過ぎないのかもしれないが。ただ、「日本人は歴史を知らない」といったのは、アメリカのビジネスマンたちである。ひとりではなく何人もの人からそんな話を聞いた。もちろん、あるときから私自身も意識してその話を持ち出して聞くようにした。最初の頃はショックであった。自分のことを指摘されているのかとも思った。海外生活をすると自己嫌悪に陥るようなことにも気づく。そのひとつが、「日本人でありながら、日本のこと日本人のこと、歴史・文化・風土にいろんな行事、仏教・神道・禅、歌舞伎に能楽、浄瑠璃、茶道や華道などなど……。英語以前に日本語で説明することさえままならないことに気づくでしょう。説明をもとめられているというより、あいては素朴に質問しているだけなのに、どういっていいのか分からず口をパクパク……と恥ずかしい思いをいやというほどしたものである。これほど自己嫌悪に陥ることはなかった。若いセクレタリーに”I hate myself”と変な英語で説明しようとすると、"You have mental problem"といったかどうか忘れたが、とにかく「自分を憎むということは精神的におかしいことだわ」といいたかったんだろうと解釈して、ますます自己嫌悪に陥った思い出がある。いまは、「思い出」となって懐かしくはあるが。
話が逸れてきたが、「日本人は歴史を知らない」というアメリカやイギリス、ドイツのビジネスマンたちがなぜそういうのか気になって調べたことがある。そのことは別の機会に書くことにするが、ここではその指摘が正しいと思う事実のひとつとして冒頭で書いた「サッカー奇跡の逆転」があることを言いたい。ずいぶん回り道をして我ながらあきれるが、日記なんですから許されるでしょう、と自分に甘くなる。それで、結論を急ぐと、戦後GHQが敷いた日本の政治・経済・社会・教育などの路線は、戦前までの日本人の精神性、一言で言うのは難しいが、敢えて言うなら「武士道精神」を根絶やしにしようとしたものではなかったか……というのがわたしの論点である。簡単に言えば、戦勝国の人たちは日本人の強靭な精神性、美意識に根ざした死をも恐れぬ勇敢さ、ゼロ戦や戦艦大和を作り出した創造力と抜き出た技術力、ロシア艦隊を打ち破った戦略性、満州で展開した機動力、アメリカ移民・ブラジル移民の開拓者魂など数え上げたらきりがないほどの日本民族の卓越性を恐れ、そうした民族の力が復活するのを妨げたかったとしか思えない。そのためには戦前の価値観を否定し、日本人の記憶から抹消したかったのではないだろうか。だからこそ、日本人が世界に示した恐るべき力を思い出させないようにしようとしたのではないか。そして、その時代の記憶がある戦前・戦中派の世代の人たちもまた、そうした記憶を忘却のかなたへ押しやろうとしたのではないか。「戦争に負け、日本を廃墟にしたのはわれわれの責任だ。これまでの価値観は捨て去り、日本の未来を戦争を知らない世代に任せよう。われわれは口出しをしない。ただ貝になるだけだ。みなさん、「わたしは貝になりたい」という映画をしっていますか?わたしも戦争を知らない世代で、小さい頃おじさんが支配人をしていた映画館でその映画を見た記憶がある。しかし、その意味することは皆目検討がつかなかった。戦争を知る大人たちは何も説明しようとしなかった。ただ哀しそうに黙っているだけであった。わたしが理解できるようになったのも、この10年くらいになってからである。知らない事実、歴史とその時代背景を知るようになってからである。もっともわたしは過去20年間、海外の仕事が中心で日本のことに疎いからかもしれない。どれだけの認識のズレがわたしにあるのか、それを確かめようとしているのかもしれない。
思いもかけず長い日記になってしまった。いい足りないことが一杯あるが今日はこの辺でやめることにする。最初は、NHKの「その時歴史は」が気に入ったので、それをちょっと紹介しようと思って書き出したのです。番組の紹介をなぞって書いた文がすでにあります。それをつぎに掲載します。
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2004年09月12日
サッカー奇跡の逆転
先週のNHK番組「その時歴史は」で放送された「奇跡の逆転」を見た。今から72年前のベルリンオリンピック大会で日本の弱小サッカーチームが優勝候補のスウェーデンを破った歴史に残る一戦である。当時、ヨーロッパで大きな話題となり日本の存在感を世界に示したものである。そんな歴史的事件とも言うべきことを、今日の多くの日本人は知らない。なぜなのか?番組では、「戦後GHQがアメリカの人気スポーツである野球を奨励したから……」と言葉を濁したような言い方をしていたのが気になった。私も、この奇跡の逆転をどこかで聞いたような気もするが知らなかったというのが正直なところである。すくなくとも小学校から大学までの教育課程の中で習った記憶はない。同じ戦前の話で、野球の沢村投手の伝説的な話はよく耳にしたが。
わたしはかねてから日本人は近代の歴史、とくに日本の国威が世界に示された明治から第二次世界大戦終結までの歴史についてその実態を知らないのではないかと疑問に思ってきた。もちろん、日清・日露戦争が何年にあり勝ったとか、2.26事件や満州事件があったなどという暦は習った。というか、覚えさせられたといべきか。しかし、そうした歴史的事件の背景にある時代精神や日本人の伝統・文化・倫理観・社会理念・政治体制といったことと因果応報的な歴史の解釈は習わなかった。メディア、TV・新聞・雑誌・書籍などで明治・大正・昭和の時代をクローズアップした記事やニュースが多くなったのは平成になってから、それも半ば以降ではないかと思う。