モルドバの壁画誕生の謎 ≪MAIN≫ ソクラテスの対話法(dialogue)

2005年08月03日

Actionの意味を問う

「PDCAを回す」と人は言う。計画(Plan)をして実行(Do)する。その結果をチェック(Check)してアクション(Action)を起こす……。当たり前のことを英語の頭文字で表現しているだけである。いまさら議論など無用…と思う人が多いかもしれない。しかし、日本人はこのPDCAの意味をどう理解しているのだろうか?「アクション」とは何なのか?「計画」とは何なのか?素朴な疑問を抱くようになった。発端は、経営の一端を担う幹部社員たちの「アクション項目を決めて実行しよう」という声とその後の結果にあった。経営品質向上を目指したかけ声、意気込みは大切なことであり、それがリーダーシップの現われでもある。

しかし、半年たってもアクションがなく何も始まらない。会議の前に思い出したように「やらなくては…」と、義務感とあせりを感じる幹部は良いほうである。提案されたアクション項目というのはたくさんある。しかし、いつまでに誰がなにをなぜやるのか?やるとどんな効果が期待できるのかが見えない。はっきりと見えなくても良い。所詮、仮説でありこれを検証して改善していくプロセスが大事なのである。この新しいプロセスが実行できないのはどういうことなのか?また全体最適化に向けた合意形成のための対話が少ない。この「対話」がないということは「改善」がない、「進歩」がないということでもある。

なぜ前に進まないのかを考えていて思い至ったのが「アクション」とは何かについての共通理解がないのではないか?ということである。アクションの企画ができないのではないか?PDCAと口では言うがその実態(プロセス)の共通認識がないのではないか?という疑問がわいてきた。幹部社員を対象としたある研修で、受講者に問う…「PDCAでいうActionとはなんですか?」すると多くの人が「行動すること」「実行すること」だと答える。答えが間違っているわけではないが、「それではPDCAのDoはなんですか?」とさらに問うと、「…すること?実行すること?」と怪訝な顔をする。日本語でアクションとドゥの区別を理解することは難しいと思う。言葉は文化の器であり、文化は思考プロセスの違いから生まれる。

PDCAはプロセスのことであり、もともと欧米人の思考プロセスからその概念が生じている。それを日本人が取り入れたのであるから、欧米人と異なる発想や思考プロセスでは理解の仕方に違いが出るのは当然である。日本語世界では表現できないから、表記も発音も英語のまま使っていると考えたほうが良い。

あえて日本語で説明すると、プランすなわち計画をつくり、これを実行(学者の経営用語で言えば実施・統制かな?)する。その結果をレビュー(評価、比較検討、精査)して、当初計画すなわち仮説が正しかった(検証できた)か?もっと良いやり方(あらたな計画・プロセス)がないかを多面的に深く考える。これがCheckである。そして新たな改善策と目標を決めて(Plan)これを達成する意思をもって取り組むことがActionである。Actionすなわち改善のプロセスと理解しても良い。

思うに、日常で使うアクションとPDCAのActionが混同されているのではないか。「アクション」は「動作、行動。俳優の演技」である。PDCAでは、「PLAN」がなければ「ACTION」もない。「PLANを作ればあとは実行のみ。最初のPLANは変わらない。」と思っている人が多いのではないか。ある経営者が「PDはあってもCAがない!」といっているのには理がある。PDCAPD…である。もうひとつ思うのは、PLANの意味である。課題を解決するための基本的考え方と運営方法を決め、目標の設定と達成状況の把握、測定方法、そして改善方法(これも仮説)を決める(考え出す!)ことの意味が共通理解されていない…ということである。「何を書けばいいのか?」という質問が多い。難しく考えすぎている人が多いと思う。もちろん研修や訓練も必要である。

こうした説明は、わたしが米国での経営実務の経験から学び解釈していることである。経営の教科書にどう書いているのか、学者先生はどういっているのかは知らない。あとで調べてみる必要がある。

ちなみにWikipediaでは、Action is effective willと定義している。哲学的には、アクションは効果を発揮する意思のことである。また、社会学的には、多くの人を動機付け対応を促す意味のある行動のことである。とくに対人関係の変化をもたらす行動・言動を言う。

one that not only has a meaning but is directed at other humans and induces a responce.
こうした哲学的・社会学的説明は、わたしには素直に聞こえる。さて、皆さんの解釈はどうなんでしょうか?

最後にHemingwayヘミングウェイの指摘を紹介しておく。

Never confuse movement with action
鋭い指摘である。日本語にすると、「動くこと(Movement)」と「アクション」を混同してはいけない…ということ。欧米人でもActionを誤解することがあるという戒めである。ましてや日本人には共通の理解が難しいことだといえる。

投稿者 elmblog : 2005年08月03日 22:32

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