August 16, 2005

太陽と水だけで生きる科学者

Ananova - Scientist 'lives on sunlight'

 ドイツの癌研究者Dr Michael Wernerは太陽からエネルギーを取っているという。フルーツジュースが少し入った水を飲むだけで、それ以外は何も食べずに、この4年間を生きてきたといっている。 彼が自分の体験を書いた本の中で、「もともと体重を抑えるためにはじめた実験であった。どうして太陽と水だけで生きていられるのかを科学的に説明できない。」といっている。

 同じような話をTV番組で聞いたことがある。アメリカのある高校生は物心ついたときから「ジャムサンドウイッチ」しか食べないで生きてきた…。そして、これよりもっと驚きべき話として紹介していたのが、旧ソ連(ウクライナかウズベキスタンと思うが)の60過ぎの女性が、水も飲まずに太陽を浴びるだけで10年も生きてきたという。彼女は10年前に最愛の息子を交通事故で失いその数ヶ月に夫も亡くした。相次ぐ不幸に絶望し何も食べず何も飲まずに床に伏せる毎日が続いた。そのまま死んでしまいたいと思ったが死に切れず、何ヶ月もの断食のあとも体力を維持していることに気づいたという。

 現在60過ぎの体は、検査の結果40代の人と同じだという。なぜ飲まず食わずで生きられるのか?彼女を検査した医者は、大気に含まれている水分を皮膚からとり、栄養は体内でできた老廃物を未知の細菌が分解して作っているのでは、といった仮説を説明をしていたがやはり科学的には説明できないとのことであった。

 こうした話に関心を抱き調べてみると、ロシアのプラウダPravda誌にAutotrophs: new kind of humans appears who neither drink nor eatという記事があった。何も食べず何も飲まない人々…が存在する。こうした人たちをAutotrophsと呼ぶらしい。辞書で調べると、ギリシャ語で、autos = "self" and trophos = "feeder"の意味。 これに対する言葉が"heterotrophs"である。日本語では「自律栄養生物」「他律栄養生物」とでもいうかな? Autotrophsは、光合成を行う多くの植物のように自分自身で栄養をつくりだし、それを自らの生命の糧とすることが出来る生物である。本来Heterotrophsである人間に植物のような生き方ができるのか?記事によると、不食という考え方は昔からあり、たとえばロシアの哲学者Vernadsky(ベルナツキー)は、人間の不食の可能性について考え、人間は宇宙から得られるエネルギーで生きることが出来ると確信していたそうである。そして今日では、現実にそうした人々が何人も存在すると言う。

投稿者 eureka : 投稿記事 | コメント (0)

August 07, 2005

女性が世界を支配したら?

If Women Ruled The World #1
もし、女性が世界を支配したらどうなるか?
…ということを風刺した写真を見つけた!わが身に覚えのある人も多いのではないか?思わず苦笑するのは男性たちだけであろうか?

①Bathroomsへの行き先案内 ②大工道具の替わりに靴とナイフ ③トイレは座ってするもの

投稿者 eureka : 投稿記事 | コメント (0)

July 28, 2005

ツーソンの怒れる祖母の会

米国アリゾナ州ツーソンに「ツーソンの怒れる祖母の会」というのがある。イラクに駐留している子供や孫が帰国できるように代わりにイラク行きを志願している人たちの集まりである。この会のメンバーであるベティ・シュローダーさんが、米軍新兵募集所に入ったことで不法侵入罪に問われた。彼女は74歳で、「年齢制限をオーバーしている」ためだった。戦争と家族の死を切実な問題として抱えているのがアメリカ市民である。あまりにも平和で享楽的な日本と日本人をどう考えればいいのだろう。

投稿者 elmblog : 投稿記事 | コメント (0) | トラックバック

April 17, 2005

Henry Dyer「大日本」

昨日のNHKスペシャル明治第二集「模倣と独創」を見損なった。番組が終わる頃に気がついた。ちょうどHenry Dyer「大日本」(Dai Nippon, the Britain of the East:A Study in National Evolution、Blackie & son、1905)の言葉を引用していた。筆者が常日頃思うことを100年以上前に書いており、たいへん感銘を受けた。

『人々の生活を豊かにし充実させるためには、西洋の科学と文明を利用すべきだが、同時に、日本人の生活と品性の特質を持ち続け、その個性を失わないようにすべきである。…自らの過去を忘れ、独自の特質を棄ててしまうような国民は、真に偉大な国民となる資格がないし、またなれるものではないのである。』  Henry Dyer、「大日本」より

この言葉はいまの日本と日本人に警告していると考える。我々は、世界に誇れるすばらしい日本の文化・伝統を大切にし、後世に受け継ぐ努力をすべきであろう。それが日本が世界に誇れるアイデンティティとなる。

Henry Dyerは東京大学工学部の前身「工学大学校」の初代校長を務め、日本の工学教育制度の生みの親とも言える英国人である。弱冠24歳で選ばれて日本に赴任し初代都検(実質の校長)を務め10年間日本に滞在した。

Glasgow University and Japan


投稿者 eureka : 投稿記事 | コメント (0)

February 17, 2005

The Nobel Peace Prize 2004 awarded to Wangari Maathai

The Norwegian poet Halldis Moren Vesaas has put it so beautifully in her poem "The woman is planting":

The woman is planting a tree in the world.
On her knees, like someone in prayer,
Among the remains of the many trees
That the storm has broken down.
She must try again, perhaps one at last
Will be left to grow in peace.

And this is how Moren Vesaas ends the poem:

She sees the hands outspread on the earth
As if trying to impose her calm
On its threatening tremors. Oh earth, be still,
Be still, so my tree can grow.

投稿者 elmblog : 投稿記事 | コメント (0) | トラックバック

February 13, 2005

バレンタインに因んだ話

Valentine Flower
バレンタイン・デイには女性が男性にチョコレートを贈るというのは誰が考えて始めたのかは知らない。アメリカのシリコンバレー周辺では男女双方が贈る。ポピュラーな贈り物のひとつが花束であろう。全米に約23,000の花屋さんがあるが、どの店もバレンタイ・デイ前の日々はうれしい忙しさで賑わう。(Photo credit: U.S. Census Bureau)

アメリカでのValentine's Dayの話を紹介する。原文はUS Census Press Releasesを参照。

伝説では、西暦270年頃、ローマの牧師St. Valentineが処刑された日である2月14日を記念して始まったといわれる。もうひとつの謂れでは、繁殖(Fertility)を祝う古代ローマの祭日が起源である。

アメリカでは18世紀はじめ頃に手作りの贈り物を交換し始めたといわれる。そして、1840年代にマサチューセッツのEsther Howlandがバレンタイン・カードを売り始めたのが契機となって全米に広まった。

US統計局が発表しているValentine's Dayに因んだデータ(2003年)はつぎのとおり。

投稿者 elmblog : 投稿記事 | コメント (0) | トラックバック

December 12, 2004

Request Price for worldsaway.com

Buy Domains
この記事はいずれなくなりリンクが切れると思い、そのページの一部を下記に引用した。

Request Price for worldsaway.com

We will only respond to serious requests that are complete and accurate. Any submissions with false or unverifiable information will be deleted.
The quoted price will be at least $688 and may be over $10,000. Due to high demand and decreasing availability, the prices of Premium Domains are rising weekly.

You will receive a price quote within 3 business days by email or telephone. If you receive a quote via email, the subject will read: "Price Request For worldsaway.com". This is not an auction. The quoted price is a one-time fee only. You will be able to purchase this domain on the spot by credit card for the quoted price.

Please only fill out this form if you intend on buying in the next 30 days.

Thanks for choosing Buy Domains !

投稿者 elmblog : 投稿記事 | コメント (0) | トラックバック

歴史が終わるとき WorldsAway.com for sale!

10年前、私の先輩・同僚たちが新しい事業の開発に情熱を燃やしていた。Virtual Worldというアバタを使った夢のある仮想空間でのコミュニティサービス事業である。

この核となったテクノロジーはルーカスフィルムのソフトウェア部門が1980年代末に開発した。当時私は駐在員として米国シリコンバレーを拠点に活動しており、日本側の要請を受けて同社とのライセンス契約折衝に随行した。サンフランシスコから101号線を北に2時間近く車で走ったところに「ルーカスバレー」がある。101号線から外れ山間の道をさらに30分ほど入ったところにルーカスのソフト開発拠点があった。

時が流れて90年代前半。このテクノロジーを買い取り、初期の開発者たちを採用して、その当時の新しい技術とインフラを採用して新たな開発が始まった。そして事業化への挑戦が開始されたのである。同じ頃、私はコネチカット州スタンフォード(Xerox本社があるところで知られ、マンハッタンから北へ約1時間)にあった某社のリストラ担当社長としての職務に忙殺されており、Virtual Worldビジネスとは無関係であった。ただ、ルーカスバレー訪問時の印象が強いためか、なぜか気になるプロジェクトであった。そして、日本側のセクショナリズムと海外ビジネス環境に関する知識・経験の乏しさがマイナスに働かなければいいのだがと心配でもあった。

そして、さらに数年が経った。時まさにインターネット革命の激動の真っ只中にあった。奇しき縁としか言いようがないが、そのVirtual Worldのビジネスユニットがある会社の経営を担当することになった。これ以外に当時業界のバズワードであった「グループウェア」、「オブジェクト指向」、「Webサービス」といった領域での事業開発にも積極的に取り組んでいる会社であった。私の任務は複雑ではあったが、単純化して言えば複数の事業を再構築をして業績をプラスにすることであった。今思えば公私共に、人生最大の修羅場であったとしか言いようがない。この間の事情は、時効を待って話をつないでいきたいと思っている。

話を戻すと、Virtual Worldビジネスへの挑戦者たちは、あの生き馬の眼を抜くような競争環境の中で孤軍奮闘していた。この新しい業界においては明らかに先行し、リーダーとして、追い上げられる立場にいた。そしてそのビジネス環境は2~3年の間に大きく変化しており、さらなる変革の波についていけなくなっていた。端的に言えば、恐ろしいまでのスピードで進展するインターネットの技術革新とインフラ整備、そして社会への浸透スピードに追いつかなくなって、技術そのものが急速に陳腐化していた。しかし当事者たちはその変化に気づかない。気づいても、新たなテクノロジ^採用で乗り切るための新たな投資が期待できない状態であった。競争相手は、ベンチャーキャピタルから潤沢な資金を調達して内外の技術革新の波に乗り、ビジネスモデルを変えながら新たな知見を得てさらに変化していく。

この変化の波に乗れないことは致命的である。この変化は何であったかは別の機会に論じたいが、それは突然やってきた。CompuServeが新興企業AOLに買収されたのである。Virtual World事業は、CompuServeネットワークインフラの上に構築されており同社と一蓮托生の関係でもあった。アカウンティング機能(顧客管理・代金回収・契約など)はCompuServe依存で、事業収入は同社の売上に比例したロイヤリティがすべてであった。

AOLの買収の結果、何が起きたのか?価格破壊である。Virtual World運営の収入は、会員が毎月支払う会費である。十数ドルから二十数ドルが一般的であった。それが買収後、約40%切り下げられたのである。事業が立ち行かなくなるのは誰の眼にも明らかであった。AOLやWorldCom(CompuServe通信インフラ買収)にとっては何の痛みもない。ビジネスモデルがまったく異なり、企業戦略の実行上のひとつでしかなかった。しかし、他力本願で契約上のリスク管理も怠っていたVirtual World事業は一挙に崩壊の危機に至ったのである。

その後の顛末についてはここで言及するだけの紙面の余裕がないが、その後のCompuServeそして勝ち組であったAOLとWorldComがたどった興味深い軌跡もふくめて、別の機会に書き留めたい。CompuServeとは、当時から遡ること10年の因縁もある。98年2月、CompuServeのCEO(当時)と一緒にオハイオ州コロンブスにある同社の本社でSteve Case(当時AOLのCEO)とあったときの彼の冷徹な眼の光と時代の動きを見切っているような自信に満ちた話し振りが印象深く残っている。


長々と書いたが、このVirtual Worldにかかわる話は、その後の経緯を含めて、私の心に強く刻まれている。そのプロジェクトの名前が、タイトルの中にある"WorldsAway"である。そして、このテクノロジ-を使って開発したサービスはDreamScapeなどの名前で呼ばれていたが、原点となるサービスのドメイン名が、worldsaway.comなのである。それが売りに出された!!!(Buy Domains)
最低価格は688ドル(約7万円)、場合によっては1万ドル以上になるかもしれないとアナウンスされている。

この記事を別のことが契機で偶然発見した。そして、手の動くままにキーボードをたたき、長々と書くことになってしまった。ショックというのではないが、歴史がいま終わろうとしているという感慨に捕らえられた。

投稿者 elmblog : 投稿記事 | コメント (0) | トラックバック

December 11, 2004

米MITオートIDラボが取り組むRFID普及への課題

RFIDテクノロジ : 米MITオートIDラボが取り組むRFID普及への課題(最終回-3)

MITオートIDラボでHRI(ヘルスケアリサーチイニシアティブ)関連の研究に従事する稲葉さんの報告である。筆者は、かつて企業間通信の業界標準化団体ロゼッタネットで働いたことがあり、このときの日本企業の関心の高さと活発な活動から比較すると、Auto ID, EPC, HRIなどでの日本企業の存在感は薄いと嘆いている。日本からの積極的な参加を呼びかけている。この記事のバックナンバーはこちらです。

ロゼッタネットジャパンの現在の活動については知らないが、本家のRosettaNetは、UCC(Uniform Code Council, Inc.の略)配下の非営利団体として、世界から100社が参加して活動している。

余談であるが、UCCの業界標準であるUPC(Uniform Product Code)が最初に使われたのがWrigleyチューインガムである。1974年6月26日、米オハイオ州トロイ市にあるMarsh Supermarketで初めてスキャンされたとのこと。1999年に25周年記念式典がスミソニアン博物館で開催された。


The Wrigley BuildingThe Wrigley Building
シカゴを代表する建築物のひとつで、ミシガン通りのシカゴ川に面している。1921年竣工。


投稿者 eureka : 投稿記事 | コメント (0) | トラックバック

December 01, 2004

経済発展と世界遺産の保護は両立するか

Xoops Bloggers - ニュース
神聖ローマ帝国を象徴するケルン大聖堂は650年もの長きをかけて建設された。いま、そのライン川対岸に高さ103メートルの構想ビルが建設されている。経済発展を促進することを理由に、さらに数本の高層ビル建設の計画がある。第二次世界大戦の戦火をくぐって生き抜いてきたケルン大聖堂の土地景観を変えようとしている。

経済発展は、現在生きている人類の贅沢のためにある。このために、過去から未来の人類に残された遺産を壊していいのか?

世界遺産は何千年もの時の流れの中で人類が生み出してきた。現在生きている人類が壊すことは許されない。この20世紀ほど多くの世界遺産を壊した時代はない。その意味では、われわれ現代人はもっとも野蛮であると言わねばならない。


ケルン大聖堂
正式名称は、ザンクト・ペーター・ウント・マリア大聖堂。


1248年に建設がはじまったが一度途絶し、正面ファサードの塔がひとつしかない状態が続いた。近世のゴシック・リヴァイヴァルによってケルン大聖堂に注目が集まり、もうひとつの塔が建造された。1880年、完成。600年以上建設にかかった。世界で最も長い時間をかけて建造された建物のひとつであろう。

1996年、ユネスコの世界遺産(文化遺産)に登録。

2004年、周辺の新建築物による景観破壊の危機にさらされ、危機遺産に指定された。

投稿者 eureka : 投稿記事 | コメント (0) | トラックバック

November 23, 2004

米科学界と対立するブッシュ政権

Wired News: Science Braces for Second Term

われわれの子孫のために地球温暖化を防止しなければいけないとの科学者たちの叫びに応えた『京都議定書』。この批准を、ブッシュ政権は拒否し続けている。温室効果ガスの影響によって地球の気温が上昇していることを認めているが、京都議定書は経済に悪影響を及ぼすという理由からである。

科学者たちは、ブッシュ政権が政策に都合の良い非主流派の意見ばかり取り入れて、広く認められている研究成果を歪曲している、と批判している。この活動の中心となっている非営利の独立組織Union of Concerned Scientistsは、、「政策決定における科学的公正さ」(Scientific Integrity in Policymaking)と題した報告書を公表している。

地球規模の気候変動(global climate change)のほかに、科学者たちが憂慮している優先課題として、胚性幹細胞(ES細胞)の研究と再生エネルギー研究および科学教育がある。

投稿者 eureka : 投稿記事 | コメント (0) | トラックバック

November 15, 2004

キム・ポレーズが戻ってきた

Open source's next chapter? | Newsmakers | CNET News.com

Kim Poleseがソフト業界に戻ってきた。

かつてJavaのProduct Managerとして対外的なSunの顔であった。そして1996年にSunを退社してMarimbaを設立。1997年にはタイム誌が彼女を、アメリカでもっとも影響力のある女性の1人に選んだ。その後2000年までMarimbaのCEOを務めた後なりをひそめていた感がする。そのMarimbaも今年はじめにBMC Softwareに買収されひとつの時代が終わった。

そして今度はオープンソースコンポーネントのパッケージングサービスの会社SpikeSourceを設立し新たな挑戦を開始した。市場ではITの開発者、設計者、そしてCIOがオープンソースを積極的に採用するという現象が起きているが、膨大な数のオープンソース資産をどう管理するかということが問題となっている。Open source's next chapter?と題するCNET News.comの記事によれば、オープンソース・プロジェクトの数は、今や8万5000を超えているという。

こうしたオープンソース資産活用の潮流に目をつけてビジネスを展開している競合企業にSourceLabsがある。こちらは元MicrosoftエグゼクティブのBrad Silverbergたちが設立した。

*SpikeSourceには元Oracle社長だったRay Laneが会長として参画している。Rayは現在KPCBのパートナーでもある。

投稿者 elmblog : 投稿記事 | コメント (2) | トラックバック

October 11, 2004

Glass Ceiling ガラスの天井

Glass Ceilingという言葉がある。天井の向こうに青い空が見えているのに見えないガラスがあってそれ以上は近づけない。人と人の間にも透明のガラスがあって握手をしたくてもできない。お互いの顔が見えているのに。見えない障壁というのがある。アメリカの地域によって言葉の意味が違うことがあるが、マイノリティや女性に、目に見えない差別とキャリアの限界があることを指してglass ceilingといっている。

生まれ育ちや身分の上下なしに、だれでも平等に夢を追いかけ実現できるチャンスがアメリカ社会の中にあることは事実である。しかし、平等かというと、日本人が考える平等という概念とは違うように思う。アメリカでいう平等は、「法の下に平等」だということである。一般社会においては実に多くの偏見と差別が入り混じった不平等がある。だからこそ、法律に照らして基本的人権を守り、国民すべての公平さを確保しようとしているのだと思う。

前置きが長くなったが、アメリカ人の間に壁があるということを先ず言いたい。日本人の間にも、土地柄によって壁があるのとおなじである。したがって、当然のことながらアメリカ人と日本人の間にも壁があるといえるが、「アメリカ人」と「日本人」という言い方に抵抗がある。それはたんなる国籍の違いを言っているだけなら、glass ceilingのような壁とは意味がちがうのではないか。

日本人という同一民族の既成概念が、日本人と何々人という対比の仕方で物事を見てしまうことが多いように思う。アメリカ人といったときに、その人はアフリカ系アメリカ人か、ヒスパニック系アメリカ人か、それともアイリッシュ系か、アングロサクソン系か、ユダヤ系か……そしてまた、サンフランシスカンかニューヨーカーか、それともボストニアンか……といった具合に個別の歴史・文化をもった個人としてのアメリカ人との対比で考えるべきではないだろうか?ステレオタイプとしてのアメリカ人をこうだと決め付けるのは難しく誤解を招くことが多い。

私はアメリカ西海岸(シリコンバレー)での生活が長いが、この地で「壁」を感じることは、日本にいたときに思っていたよりも少なかった。その壁を「疎外感」とか「孤立感」というように解釈すると、日本の中(とくに都会)のほうがカリフォルニアよりも壁があると思う。

時間がなくなったので、このつづきは次回に書くことにします。

投稿者 elmblog : 投稿記事 | コメント (0) | トラックバック