筆者が最初に今日で言うblogを試したのは1998年頃だったと思う。仕事上必要だということもあったが、個人的に世界の人と文化、歴史に関心があり、それまでのForumに替わって個人のサイト経由で意見交換、教え教えられ、相互リンクができるツールとしての利便性に興味をそそられた。それまでのForumなどとなにが違うのかを話す前に、さかのぼること10年前のForumやChatの事情、筆者の体験に言及したい。
ここからの話の舞台は1980年代後半のシリコンバレーと東京周辺である。
その頃のForumでは、テーマ別にコミュニティがつくられ、シスオペと呼ばれたりする管理人が運営にあたる。筆者が参加したのは、異文化交流、旅と歴史、英語、映画、コンピュータなどなどである。CompuServe(現在のAOLの一部)が中心で、その後日本でNiftyサービス開始と同時にアメリカから参加した。この頃、アメリカ(というより英語圏)の人たちが集まるForumの様相と日本のそれとで様子が異なり興味深いものがあった。そのときの報告「日米ネットコミュニティ住民の違い」を参考にされたい。
Forum開設当初は、そのテーマに関心のある人がたくさん参加し、活発な意見が交換される。しかし、メンバーが増え、数百人規模に膨れてくるとメンバー間のコミュニケーションが難しくなる。またメンバー間のトラブル(誹謗中傷と思われる書き込みがトリガー)も多くなり、運営が困難になる。当初はひとつの論点でみんなが書き込みをしているが、そのうち別のテーマで書き込みをする小グループが増えてくる。自分が求める論点がどこにあるのか分からなくなってくる。すべての書き込みが時系列で増殖していくため、だれとなにを話しているのか分からなくなるのである。ある集会で複数テーマで数十人が同時に発言したらどうなるか?……を想像してみれば分かる。対話不能になる。それで、声の大きいオピニオンリーダ(最初はそのForumのシスオペと呼ばれた管理人に替わって)が現れる場合もあり、その人を取り巻くかたちで、発言者が淘汰されていく。その人たちは、お互いに友達同士になり、心地よくなっていく。80年代末の日本では、そんな人たちが都市圏に住んでいることが多く、ときには「オフ会、オフパーティ」といって実際に会うようにもなる。これが仲間意識に拍車をかけ、Forumでの発言も活発になる。しかし、内容が「この間のオフ会楽しかった……。そのときの写真できました……。AさんはどうでBさんはこうだった……。」といった「たわいのない」書き込みが極端に多くなる。そして、他の人たちにとっては居心地がわるくなってくる。また、はじめて訪問する人たちも、その仲間に入るのに抵抗を感じる。結果的に主な発言者は十数人に収斂していく。その他の人たちはいわゆる「ROM(Read Only Member)」化していく。つまり書き込まれた履歴を読むだけで発言しないメンバーである。となると、新鮮な発想や意見が少なくなり、新陳代謝がなくなっていく。あとは閉鎖・消滅の運命が待っている。
戻る つづく